高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

色々と惜しい「メアリと魔女の花」

『メアリと魔女の花』公式サイト

 

米林宏昌監督作品「メアリと魔女の花」を長女と見た。実は最初、CMを見た時、スタジオジブリじゃないのにジブリ風にしなくてもと思い、見るつもりはなかった。ただ、エンディングテーマをSEKAI NO OWARIが担当していると知って、別にセカオワのファンではないが、何かジブリとは違う新しいものを感じて考えを変えた。それにジブリ風というだけでも需要がある。私は日本の美しい風景を収めたある雑誌を持っているが、それにはジブリのような風景という項があって、やはりジブリの影響はでかい。それにおもしろければなんでもいい。ここからは「メアリと魔女の花」のネタバレがあるので注意してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論からいえば、今作は「真面目だが平均点」の作品だ。ジブリっぽさも相まってどうしても期待値が高かったのもあるが、もっとやりたいように作っても良かったのではないいかという印象だ。画面作りやアニメーションそのものは良かった。ただ残念だった点は「話が冗長すぎる」と「派手さが足りない」だ。

 

まず「話が冗長すぎる」について。これは単純に無駄が多いと言い換えてもいい。展開がもたつくのでひとつひとつのシーンが長く感じた。もっとスピーディーに展開しても良かったのてはないだろうか。開幕、燃え上がる研究室から話のキーアイテム「夜間飛行」という花の種が、ある魔女に盗み出されるシーンから始まる。「夜間飛行」という花には人に魔力を数時間与える力がある。後でわかるが「夜間飛行」を利用した危険な実験が行われ、それを阻止するために盗み出されたのだ。ここは燃える研究室や箒に乗っての追走劇があり迫力があった。掴みとしては十分で、期待させるものがあった。場面がかわって主人公メアリが登場し、森の中で「夜間飛行」を発見する所から本編が転がって行くが、まず花を見つけるまでが長い。メアリはわけがあって大叔母シャーロットの住む赤い館に引っ越してくる。メアリはおっちょこちょいなようで、家の手伝いをしようとするが、失敗ばかりだ。それはいいのだが、メアリの失敗シーンが何度もあるのでそんなに必要かと思う。また、黒猫ティブに誘われるように森に入って行くが、この時ティブの体毛が黒から灰色に入れ替わるような演出がある。結局はもう一匹の猫ギブがいただけなのだが、私はてっきり猫がなにか魔法的な演出かと思ったのでちょっと肩透かしだった。そして、「夜間飛行」を見つけてさぁ盛り上がって行くかと思えば、メアリは花を一輪持って帰ってしまっただけだ。特に派手な何かは起きない。もちろん後の展開に繋がってはいるが、本作はこんな拍子抜けが多い。魔法の国にある「エンドア大学」にたどり着いたメアリは「夜間飛行」の力で(あとメアリ自身の赤毛や黒猫ティブのおかげで)優秀な魔女と勘違いされる。校長マダム・マンブルチュークに学内を案内されるがこのシーンもわりと長い。そしてそのまま大学に入るでもなく、入学願書を手渡されて終わりである。もちろんいくつかの重要な伏線はあるが、魔法的な派手な展開はないので子どもだったら飽きてしまうのではないだろうか。

 

スタジオジブリの作品は展開が早い。全てがそうだとは言わないが、「天空の城 ラピュタ」は特にスピーディーだ。意識して見るとこんなに早かったのだなと驚くくらいだ。「千と千尋の神隠し」で始めて釜爺に会いに行くシーンは、とにかく長い(そして危ない)階段を降りるが、途中蛙の従業員に見つかりそうになったり、足を滑らせて猛スピードでかけ降りたりと観客を飽きさせないようになっている。たぶん宮崎駿監督は飽きさせない工夫を随所に仕込んでいるのだろう。

 

また「派手さが足りない」だが、盛り上がる場面であっさり終わってるなと思った。劇中、ピーターという少年がマンブルチュークに拐われてしまう。マンブルチュークは「夜間飛行」を欲しており、ピーターを人質にして「夜間飛行」を手にいれようと画策する。メアリは再びエンドア大学に赴き、マンブルチュークと交渉するが、なんと「夜間飛行」をあっさりと奪われてしまう。当然ピーターを返してくれるはずもなく、ピーター共々巨大金庫に閉じ込められる。メアリは十一歳なので騙されても仕方ないかも知れない。しかし、金庫を脱出した後、ある場所で「夜間飛行」の花の最後のひとつを手にいれる。これはメアリにとって最後の切り札のはずなのだが、これまたあっさりと奪われる。

 

クライマックスではピーターは前述の実験の被験体にされ、「どんな魔法でも操ることの出来る存在」に変えられてしまう。しかし、実験は失敗しピーターは巨大なスライムのような姿になり、研究室を破壊しつくす。元の姿に戻すためには「全ての魔法を終わらせる魔法」が必要だが、メアリにはもう魔力は残っていない。どうしたかといえば未だ人の意識と形が残るピーターに、呪文の真髄という魔術書があって、それを手渡すことで先の魔法により全ての魔法を無効化したのだ。手に汗握るシーンのはずだがここでも「あれ、もう終わりなのか」と思った。そもそも奪われた「夜間飛行」を巡る攻防があると思ったのだがそれもなく、実は最後まで未使用のままだ。(それなりの意味合いはあるけど) 化け物にされたピーターにより研究室が破壊されたのだが、人死も出ず(出て欲しいわけではないが)、エンドア大学が崩壊するわけでもない。絵としては地味である。何よりメアリとピーターの関係性が薄い。メアリにとってピーターは出会って数時間のご近所さんだ。運命の相手とか好意があるわけではない。

 

新海誠監督の「君の名は。」は破局を回避するためにしたことは「町長を説得し訓練の名目で皆を避難させた」だけである。それだけならわりと地味だが、主人公達と観客には、隕石が落ちたらどうなるか前もってわかっている。それに主人公瀧と三葉は無意識ながら意識しあっている。だから展開が派手でなくてもしっかりと感動が伝わるのだ。

 

色々と書いたが 「メアリと魔女の花」はイギリスの作家メアリー・スチュアートの「The Little Broomstick」が原作だ。原作は未読だが、もしかたらあまり改変出来なくて、あるいは忠実に再現して今回の仕上がりになったのかもしれない。だから、次回作があればぜひ米林監督のやりたいように作って欲しい。実力はあるはずなので期待はできる。

 

余談だが、長女が最後の最後でポップコーンとジュースを盛大にぶちまけたのが一番衝撃であったが、これこそ余計な話だろう。

前髪一直線!

前髪の揃っている、いわゆるぱっつんが好きだ。ぱっつんの女性を見かけるとつい目がいってしまう。それで妻に睨まれたりする。特に大人らしい美しいの女性(成人なのに大人らしいというのも変だが)がしているのが好みで、ついでポニーテールだと完璧だ。たぶん、ぱっつんという子どもの要素を、大人の女性がしているギャップに弱いのだろう。ZARDの故・坂井泉やaikoYUKIのような女性のぱっつんが好きだ。だから少女性を売りにしたアイドルや十代のぱっつんはそこまで響かない。最近では広瀬すずが飛ぶ鳥を落とす勢いで、彼女は可憐さと美しさを持ち合わせているが、美人だと思うだけだ。

 

何故こんな話をするかというと妻がぱっつんにしたからだ。普段は前髪を横に流していたのだが、あくる日美容院でぱっつんにしてきた。訳を聞くと私の好みに合わせてくれたようだ。実は結婚する前にもぱっつんにしたのだが、前髪のせいでおでこが痒くなるのですぐにやめてしまった。妻はわりと童顔で、ぱっつんのせいでよりそれに拍車がかかった。私は気恥ずかしくてつい笑ってしまったが、せっかくなのでポニテにしてくれとたのんだら、妻の魅力が倍増した。結婚して四年目だが、妻にときめくとは思わなかった。

 

自分の好みを自覚したのは結構遅くて二十歳の頃だ。職場の休憩所にファッション雑誌が置いていて、街の女の子のスナップを集めたコーナーがあった。たいていの男はそういう類を見かけるとどの女の子がタイプかという話になる。それで自分が好ましく思う女の子を数人指差すと、「お前は前髪が揃っている女の子が好きなのか?」と言われた。改めて確認すると全員ぱっつんであった。この時、始めて自分の好みを自覚した。

 

振り替えれば子供の頃からその気があった。当時、魔方陣グルグルという漫画があって、単行本をもっていたわけではなく、何故かSFC版のゲームが家にあり、兄がプレイしているのを横でながめていた。同作品にククリというヒロインがいる。

魔法陣グルグル ククリ - Google 検索

 

彼女を見る度に不思議な気持ちに駆られた。目が離せないのに照れるような、落ち着かなくなって、胸がざわざわする。これは、中学生の時、前述のZARDのCDジャケットを見た時も同じだ。綺麗な人だからと思っていたが、私にとってドンピシャだったのだ。

 

ともかくぱっつんてある。たぶん死ぬまでぱっつん好きのままだろう。ゆりかごから墓場までぱっつんだ。妻はいずれ別の髪型に変えるが、その時まで存分に前髪を愛でよう。それは私にとって幸せのひとつだ。

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笑顔でいないと勘違いされる

久し振りに村上龍のエッセイを読み返した。いつ読んでも文章に魅力を感じる。プロの小説家なので当たり前ではあるけれど。エッセイに「寂しい人ほど笑いたがる」というタイトルがあって、2012年に書かれたものだ。飲み屋に行くと若者やおじさんの集団がいて、大声で笑いあっているのに何故か楽しそうには見えない。そのくせ終わり際にはやけに寂しそうに見える。三世代住宅の広告では、祖父母から孫まで何がおかしいのかわからないままニコニコしていて、まるで振興宗教のパンフレットみたいだと述べている。余計なお世話だよとツッコミたくなるが、思う事がある。

 

以前出社すると「お前は何でそんな死にそうな顔をしているんだ」と言われた。それなりに疲れているが、元気だよと思っていたが、どうも辛気くさい表情をしていたらしい。それが何度も続いたので挨拶する時は意識して笑顔をつくるように心がけた。正直、なんだかバカらしい。

 

皆から好かれている人は、笑顔が上手いと思う。職場でもそういう人は、すれ違う際に挨拶するだけでもとびきりの笑顔だ。それもつくり笑いなどではなく自然と出たものだ。目を細めしっかり前歯が見える。私はせいぜい口角をあげるくらいでたぶん目元は笑っていない。育ちが違うのだろうか。

 

高校で就職面接の練習で、もっと若者らしくハキハキしろとダメ出しされた。その度になんで笑顔で人間を判断するのだと憤っていたが、今ならわかる。明るい人は親しみを持たれやすく、陰気だと何を考えているかわからず、不気味である。それに高卒には能力なんて求められていない。単純に覇気があり、素直な方が会社にとって好ましい。これは世間一般においても同じだ。

 

私はおもしろくもないのに笑顔をつくるのは苦手だ。笑顔は人と人との潤滑剤だとは理解している。人と接する際はなるべく笑顔でいるようにしている。だが、どこかで似合わないことをしていると感じていて、自然と出来る(ように見える)人はすごいと思う。練習していけば自然に出来るかも知れないが、果たしてそれが自分にとってよいのか私はわからない。

次女が腸重積症になった

五月から家族皆が病気になってしまって、六月はなにもないだろうと胸を下ろしていたら、次女が腸重積症になって入院してしまった。

 

五月は病月間だった - 高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

 

腸重積症とは簡単にいえば腸が腸にめり込む病気だ。詳しくはこちらのサイトを参照してほしい。

腸重積症 — 日本小児外科学会

 

典型的な腸重積症は小腸の終りの腸である回腸が大腸に入り込むために生じます。

(中略)

腸重積がおきますと、腸管から返る血液の流れが障害され腸管にある細い血管が破れて血液が腸の中に出ますので便に血液が混じるのです。腸重積がおき時間が経過しますと、腸内容の移動が障害され、吐くなどの腸の閉塞症状が現れますし、また腸重積を起こした腸は次第に血液の流れなくなるために組織が死んでいきます(壊死)。 このような腸の状態になる前に病気を診断し、治療を急がなければならないわけです。

 

上記サイトより

 

深夜3時頃に突然次女が泣き出し、ミルクや母乳を与えても泣き止まなかった。オムツを見ると便に血が混じっていた。発見したのは妻だが、本当によく見つけたと感心する。

 

最初はおしりが切れたか、腸炎辺りかと思った。電話相談に問い合わせると病院に連れて行ったほうがいいらしい。しかし、二人で行くと長女一人になるので妻が連れていくことになった。診察してもらい、やはり腸重積なので入院しなければならなかった。私は夜が明けるのを待って長女を小学校へ送り出し、数日分の荷物をまとめて病院へ向かった。着いたときにはもう治療が終わっていて、妻と次女は背の高い柵のついたベッドにいた。幸いにも発見が早く、すぐに治療できたからよかったが、下手をすれば手術が必要だった。

 

治療が済んだのはいいが、再発する可能性があるので四日間入院しなければならなくなった。これがまた大変で24時間付きっきりなる。いくら柵があるとはいえ、暴れまわるし、点滴を外そうとする。環境に馴れないせいか、トイレにでも行こうとすると寂しくなって大泣きする。シャワーや食事しに行くなんてとても出来ない。妻が仕事を休んで付いてくれたが、なるべく交替し、妻には気晴らしに出掛けてもらったりした。(長女は母が見てくれた) 病院は娯楽がテレビくらいしかないので、妻は大量に漫画をレンタルした。入院中の長い時間を乗り切れるかが重要だ。乗り切れられないとストレスでやられてしまう。

 

看護師に聞いた話だが、 病院に馴れないストレスで情緒が不安定になる子どももいるらしい。子どもは環境の影響を受けやすいので泣き通しだったら参っていただろう。次女は入院翌日には慣れて機嫌も良く、持参したおもちゃで遊んでいた。本当は外に出たかっただろうが、よく耐えてくれた。妻も次女も立派だ。

 

こども医療費助成制度のおかげで乳児費は数千円ですんだ。今回に限らず病院にかかることが多いので、この制度には何度も助けられた。もっともいくら安くつくとはいえ、何度も入院されると大変だし、病気や怪我で辛い姿は見たくないので健康でいてくれるのを願うばかりだ。

睡眠薬は印象がよくない

数ヶ月前から二交替勤務制になった。受注数が増えたためだ。今回が始めてではなく、何度かしたことがある。大体一年くらいで通常勤務に戻るが今回もそうなるだろう。

 

二交替勤務は普通、ラインや機械を止めないために休憩を含め十二時間で交替だが、私の場合は十時間ないし十一時間だ。当然空白の時間ができるが、それで特に不都合はない。しかし、別の問題がある。それは交替が一週間で切り替わる事だ。

 

一週間で昼と夜が入れ替わるのだからバイオリズムは滅茶苦茶になる。夜勤の際、昼間に眠れなくて困る人が多いようだが私は逆で、昼勤の夜に眠れなくなってしまう。翌日は眠くて業務に差し障るくらいで本当につらい。そのくせ夜になると目が冴えてまた眠れない。地獄である。おかげですっかり疲労し、ブログが全然更新出来なかった。

 

今回の交替勤務は以前と比べても切り替えがうまくいかないので、内科で睡眠薬を処方してもらった。処方されたのはマイスリーで、まぁ有名なものだ。飲めばちゃんと眠れるのでかなり助かっている。(もっとも昼に眠くなることもあるけど)

 

しかし、睡眠薬を服用していることに対して妻や会社の人間からの反応は芳しくない。妻にはやけに気をつかわれるし、心配もされる。上司に処方してもらったと報告したら「(安全に)気をつけろよ」でもなく「悪いが頑張ってくれ」でもなく、「飲み過ぎたら癖になるぞ」と言われた。腹が痛いから胃腸薬を飲んだくらいの気持ちだったが、周りはそう思ってないようだ。

 

何はさておき人間は夜に寝る生き物だと実感する。一度バイオリズムが狂ったらなかなか戻せない。朝日を浴びて体内時計をリセットするとか、寝る際は腹式呼吸で副交換神経を優位にするなど色々な情報があるが、全部役に立たなかった。できるなら夜勤などしないほうがいい。寿命と引き換えに金を稼いでいるようなものだ。(手当て自体は悪くないのでまた悩むのだが)

子どもに会いたい親 どうでもいい親

私の友人が離婚していた事を最近知った。彼とは小、中学からの仲で、割りと近所に住んでいて時折顔をあわせた。夫婦仲は良さそうだったからかなり意外だった。どちらが有責などではなく、性格の不一致というか、相性の問題らしい。

 

彼等には二歳半の子どもが一人いる。可愛いさかりだ。友人は親権を欲しがったが、やはり母親には勝てないとぼやいた。別に裁判をしたわけではないが、まだまだそういう世の中だ。それに彼は転勤で地方に行ってしまった。なので月に一度、戻ってきては子どもと数時間だけ会っている。そう話す彼の声はとても寂しそうだった。

 

このブログに何度も書いているが私と長女は血の繋がりはない。妻の連れ子だ。なので本当の父親がいるが、一度も連絡はない。遠慮しているのか、どうでもいいのか、それすらも不明だ。子どもに会いたいと思ったりしないのだろうか。妻に言わせれば養育費を払いたくないから会おうとしないだけらしいが、実際はわからない。

 

最近になって少しずつ親子断絶防止法が盛り上がってきている。私は基本的に賛成だが、色々問題も多い。面会した親がわが子に害をなす事件も報じられている。一方で子どもに会えず苦しんでいる親もいるのも事実だ。

 

 実のところ、子どもに会えない葛藤がよくわからない。実の子どもがいるのにも関わらずだ。妻に、もし私達が離婚し、私が子どもに会いたがると思うか尋ねたら、「養育費はくれるだろうけど絶対に会いたがらない」と断言されてしまった。ずいぶんな言われようだ。とは言え、子ども達が健康に育っているなら会えなくてもいいかもしれない。

 

子どもは自分の分身や延長線上の存在ではなく、私とは違う独立した個人だと考えている。だから養子も実子もなにも差は感じない。実の子にどうしても愛着がわくと周りからも話を聞くので、人と少しずれているかもしれない。決して子どもがどうでもいいわけではなく、私自身を構築する要素に子どもの存在が少ないだけだ。

五月は病月間だった

もう少しで五月が終わるが、今月は結婚生活の中で一番大変だった。家族全員が病気になってしまったからだ。時系列にまとめると

  1.  五月に入って早々に私が食中毒にかかり
  2. 八日に次女がヘルパンギーナと診断され
  3. 11日には長女が溶連菌に感染した
  4. ようやく落ち着いたと思ったら、妻が腎盂炎になり四日間入院した
  5. 退院しもうなにもないだろうと安心した直後に次女がノロウィルスに感染した
  6. おまけに私もノロウィルスを次女からもらってしまった

 

私も妻も何度も休む事になり、なんとなく心苦しさを覚えた。特に妻は子どもの看病に自分の入院と、予定の半分くらいしか出勤していないのでなおさらだろう。

 

保育園の洗礼という言葉かある。保育園に入ったばかりの子どもは、他の園児から菌やウィルスをもらいやすく、何度も病気になってしまうという意味だ。何度も病気になることで抵抗力を獲得するわけだが、だからといって病気の度に仕事を休みづらいのも確かだ。場合によっては完治に一週間はかかる事もある。

 

 今月は有給と実家の母、それに施設型の病児保育とあらゆる手を使ったが、また同じ事が起きたらと思えばゾッとする。自分たちが病気になるのはともかく、子どもの看病でも休まなければならない。今回の事で改めて子育ては核家族ではかなり無理があると思い直した。

 

もちろん核家族で立派に子育てした家庭もたくさんあるのはわかっている。それでも、どんどん女性の社会進出が加速する中で、どれだけ看病のための休みが理解されるだろうか。男性の育児休暇取得率の低さを考えれば、男性が看病のために三日も四日も休ませて欲しいとは言い出せない。子どもが二人、三人となるともうお手上げだ。

 

出生率を改善するために国は色々考えているようだが、保育所だけでなく病児保育・病後児保育サービスの拡充や、看病のための休みの理解を広めて欲しい。でなければ子どもを欲しいと思う人は増えない。