高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

子どもに会いたい親 どうでもいい親

私の友人が離婚していた事を最近知った。彼とは小、中学からの仲で、割りと近所に住んでいて時折顔をあわせた。夫婦仲は良さそうだったからかなり意外だった。どちらが有責などではなく、性格の不一致というか、相性の問題らしい。

 

彼等には二歳半の子どもが一人いる。可愛いさかりだ。友人は親権を欲しがったが、やはり母親には勝てないとぼやいた。別に裁判をしたわけではないが、まだまだそういう世の中だ。それに彼は転勤で地方に行ってしまった。なので月に一度、戻ってきては子どもと数時間だけ会っている。そう話す彼の声はとても寂しそうだった。

 

このブログに何度も書いているが私と長女は血の繋がりはない。妻の連れ子だ。なので本当の父親がいるが、一度も連絡はない。遠慮しているのか、どうでもいいのか、それすらも不明だ。子どもに会いたいと思ったりしないのだろうか。妻に言わせれば養育費を払いたくないから会おうとしないだけらしいが、実際はわからない。

 

最近になって少しずつ親子断絶防止法が盛り上がってきている。私は基本的に賛成だが、色々問題も多い。面会した親がわが子に害をなす事件も報じられている。一方で子どもに会えず苦しんでいる親もいるのも事実だ。

 

 実のところ、子どもに会えない葛藤がよくわからない。実の子どもがいるのにも関わらずだ。妻に、もし私達が離婚し、私が子どもに会いたがると思うか尋ねたら、「養育費はくれるだろうけど絶対に会いたがらない」と断言されてしまった。ずいぶんな言われようだ。とは言え、子ども達が健康に育っているなら会えなくてもいいかもしれない。

 

子どもは自分の分身や延長線上の存在ではなく、私とは違う独立した個人だと考えている。だから養子も実子もなにも差は感じない。実の子にどうしても愛着がわくと周りからも話を聞くので、人と少しずれているかもしれない。決して子どもがどうでもいいわけではなく、私自身を構築する要素に子どもの存在が少ないだけだ。

五月は病月間だった

もう少しで五月が終わるが、今月は結婚生活の中で一番大変だった。家族全員が病気になってしまったからだ。時系列にまとめると

  1.  五月に入って早々に私が食中毒にかかり
  2. 八日に次女がヘルパンギーナと診断され
  3. 11日には長女が溶連菌に感染した
  4. ようやく落ち着いたと思ったら、妻が腎盂炎になり四日間入院した
  5. 退院しもうなにもないだろうと安心した直後に次女がノロウィルスに感染した
  6. おまけに私もノロウィルスを次女からもらってしまった

 

私も妻も何度も休む事になり、なんとなく心苦しさを覚えた。特に妻は子どもの看病に自分の入院と、予定の半分くらいしか出勤していないのでなおさらだろう。

 

保育園の洗礼という言葉かある。保育園に入ったばかりの子どもは、他の園児から菌やウィルスをもらいやすく、何度も病気になってしまうという意味だ。何度も病気になることで抵抗力を獲得するわけだが、だからといって病気の度に仕事を休みづらいのも確かだ。場合によっては完治に一週間はかかる事もある。

 

 今月は有給と実家の母、それに施設型の病児保育とあらゆる手を使ったが、また同じ事が起きたらと思えばゾッとする。自分たちが病気になるのはともかく、子どもの看病でも休まなければならない。今回の事で改めて子育ては核家族ではかなり無理があると思い直した。

 

もちろん核家族で立派に子育てした家庭もたくさんあるのはわかっている。それでも、どんどん女性の社会進出が加速する中で、どれだけ看病のための休みが理解されるだろうか。男性の育児休暇取得率の低さを考えれば、男性が看病のために三日も四日も休ませて欲しいとは言い出せない。子どもが二人、三人となるともうお手上げだ。

 

出生率を改善するために国は色々考えているようだが、保育所だけでなく病児保育・病後児保育サービスの拡充や、看病のための休みの理解を広めて欲しい。でなければ子どもを欲しいと思う人は増えない。

養子が卒園して思うこと

遂に長女が保育園を卒園した。卒園式ではたくさんの保護者や保育士が涙を流していた。私は泣きはしなかったが、感慨深いものがあった。長女は卒園式を楽しみにしていたが、当日の朝になって卒園したくないと泣き出してしまった。それだけよい思いでがたくさんあるのだろう。長女が3才の時に養子縁組したので、大体3年ほど経ったが、いろいろあったなと思った。

 

4月から晴れて小学生になるが、長女の実父はその事を覚えているだろうか。実父とは全く関わりがない。何度か書いたが拒絶はしていない。ただ関わろうとしないだけだ。彼にとっては、子どもと別れてから5年以上経つが、果たしてどういう思いなのだろうか。案外、ないも考えてないかもしれない。私も数年前に会った親戚の子どもの年齢など覚えていない。

 

 私がはじめて長女と会ったとき、神戸のアンパンマンミュージアムに連れて行った。妻(まだ結婚してないけど)と私と長女でだ。会場前に着いたので並んで待っていたら、前の方でアンパンマンの着ぐるみが出てきて、子どもたちに手を振ったりしていた。長女からは全然見えないので肩車をした記憶がある。そのときはよもや自分の子どもになるとは夢にも思わなかった。

 

今でもあんまり親になった実感はない。実子である次女が産まれたが、やはりない。しかし、私の思いはどうであれ、子どもはどんどん成長していく。おむつをしていた子が今は逆上がりを出来るようになった。(私は小学生3年生くらいまで出来なかった) 

 

実父の中では長女は未だ赤ん坊のままだろうか? 重松清の小説「幼な子われらに生まれ」では離婚し、全く会わなかった子どもにおもちゃをプレゼントするシーンがある。(正直うろ覚えだが) 高学年になるのに熊のぬいぐるみを渡して呆れられていた。彼の記憶の娘はどう成長しているのか少し気になる。

 

私にとって家族とは、私と妻⇔子どもたちという連続した共同体ではなく、あくまで一人ひとりが独立した存在だと考えている。その事を妻に「人は死ぬときは一人だ」みたいなニュアンスで説明した事がある。妻にそれは寂しい考え方だと言われた。子どもは私の分身ではなくあくまで一人の人間なのだ。私の家族観は他人よりもずれているかもしれないが、それくらいの方がしっくりくる。人間関係が近いのは苦手だ。しかし、ステップアップファミリーの我が家においてはこの考え方は有効に作用していると思う。

 

実のところ、子どもたちの将来には良くも悪くも期待していない。好きなこと、得意なことを見つけてくれればそれでいい。期待とは子どもに自分の願いを託すわけだが、親の自覚が薄いので託したいものがない。ただ、「自分の生き方を模索し達成する能力」は育ててあげたい。卒園式を終えてそんなことを思った。

ブルーワーカーに副業は難しい?

最近、副業が条件付きだが解禁されつつあるらしい。本来、公務員でもない限り法的に問題ないが、多くの企業で社内規則で禁止にされてきた。しかし、働きかたの見直しやスキルアップを目的として解禁する企業が増えている。

 ロート製薬の「副業解禁」が示す本当の意味 | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 副業解禁は企業のダイバーシティ推進のリトマス紙に?シニア社員の肩たたきか、企業の成長につなげられるか(中野円佳) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

もちろん副業ならなんでもいいわけではなく、「本業に支障がない」「競合する業務内容ではない」「会社の信頼を損なわない」などの条件はある。それでも副業できる環境になりつつあることは喜ばしい。何故なら「生き方」に多様性が産まれるからだ。

 

リーマンショックが起きた頃、多くの企業で仕事が減少してしまった。それで潰れてしまった企業もある。私の会社はなんとか持ちこたえたが、仕事がないので平日も休みになってしまった。週休4日なんて時もあった。当然給料も減るので、こっそりバイトしようと思ったくらいだ。当時はまだ実家にいて少ない給料でも問題なかったが、もし同じような事が起きたら、確実に持ちそうにない。そういう意味でもやはり副業解禁は必要だろう。

 

しかし、単純の副業といってもスキルや資格を活かしたものからバイトのような時間で雇われるものまである。自分で仕事を産み出したり営業できるなら、もしかしたら本業以上に稼げるかもしれないが、バイトでは不可能だ。そこには個人の能力という深い溝が横たわっている。

 きっちり稼げるまともな副業をはじめたい方への一番肝心のポイント | More Access! More Fun!

 

特に肉体労働者は体を動かして付加価値を産み出すので、業務が終わってからさらに働くのはよほど体力に自信がなければ難しいかもしれない。そうなると時間給ではない仕事を探さなければならない。例えばWEBライターやアフィリエイト、あるいは何かをクリエイトして販売するなどだ。(小物を作ってminmeで売ったり文章を書いてnoteで売ったり)

誰とも会わずに稼ぐ、22つのネット副業の方法【在宅で儲ける現実的な方法】 - LITERALLY

 

私は本業で稼げる人は副業でもそれなりに稼げるのではないかと思う。ココナラというスキルを売れるサービスがある。例えば設計、CAD/CAMが出来るなら、ここで図面作成の代行や指南で稼げるかもしれない。しかし、機械オペレーターで加工しかできないのならそれもできない。結局持ちうる能力の優劣や希少性がものをいうわけだ。

 

 だがけして諦める事はない。副業は本業では得られない経験を積むチャンスでもある。私は業務で顧客と顔を会わせる事はない。副業でレジ打ちなどの接客業を選べば接客スキルも向上する。実際に雇ってもらえるかはわからないが、例えばミスタードーナツはバイトであっても厳しい研修があり、接客業の基本を叩き込まれるようだ。

近くのミスタードーナツでのバイト | バイト体験紹介メディア | Baiteee

 

しかし、前述の通り肉体労働者にとってはダブルワークは決して簡単ではない。特に日常的に残業や休日出勤がある人には尚更厳しい。どんな仕事をしてどう生きるのか。いくら副業が解禁されたとしても、生き方を選ぶ事は容易ではない。

高卒ブルーワーカーはホワイトカラーの夢を見るか

一昨年、電通の女性社員が自殺した事件を受けてか、ほんの少しずつだが働きかたを見直そうという動きがある。残業時間を削減とか、業務の効率化についての記事もよく見かける。

 

働き方改革第一弾として、ホワイトカラーが今すぐ無くせる5つの残業 (榊 裕葵 社会保険労務士) : シェアーズカフェ・オンライン

 

残業上限60時間を「画餅」にさせないために | ワークスタイル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

 

残業の減らし方について。 | Books&Apps

 

仕事ができる人とできない人の25の具体的な違い:今すぐできる業務効率化の方法 - LITERALLY

 

ふと思ったのだが、ブルーワーカー向けの記事は見かけないと気づいた。基本的にオフィス業務に携わる人のための内容ばかりだ。 

 

勘違いしないで欲しいがそれがけしからんと言いたいのではない。現場作業者の役に立つサイトもある。

製造業Q&Aサイト - 技術の森

 

ニュースサイトやBLOGOSにブルーワーカー向けの記事がほとんど無いのは、単純にブルーワーカーはそういったサイトを利用しないからだろう。昼休みでもソーシャルゲームをしている人は多い。(わざわざ覗きこんでいるわけではないよ) 

 

三十路手前になって特に思うが、高卒と大卒の壁はあまりに厚い。私の職場でも高卒と大卒が並んで仕事する事はない。(契約社員から正社員になった場合は別だが) 設計や営業、事務等は高卒は配属されない。任される業務も違えば質も違う。あくまで個人的な意見だが、いつの間にか追い付けないほどに、スキルや情報量に差がついてしまっているように思う。でもそれは仕方がないことでもある。

 

今の会社に就職して10年が過ぎた。同じ高卒の先輩方はホワイトカラーに憧れたりするのだろうか? 正直、オフィス業務に憧れがある。しかし転属にしろ転職にしろ、高卒で業務経験がないのはかなり厳しいだろう。しかし、嘆いていても仕方がない。現状をよりよくする、リスクを背負って転職する、大学に入る。いずれにせよ前に進むしかないのだ。

バンダイチャンネルに救われた話

先日、アニメ配信サービス「バンダイチャンネル」に入会した。本当はdアニメストアに入会したかった。あいにくパソコンは壊れており、Kindleで視聴できるバンダイチャンネルにしたのだ。(スマホでは画面が小さすぎて嫌だ) 前から見たかった「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」と、今話題の「けものフレンズ」を観賞しているが、とても面白い。息をつかせぬ展開のガンダムは見ていて胸が苦しくなるし、けものフレンズはゆるさ全開の中に膨大な情報が仕込まれており、考察を読むだけでもかなり楽しい。私はやはり「アニメ観賞」がとても好きなんだなと思った。

 

子どもの頃からアニメが好きで、戦隊物や仮面ライダーより、勇者シリーズなどのアニメを好んだ。理由はわからないが、そういう性格だった。中学生あたりから深夜にアニメが放映していると知った。自分の部屋を持つ友人が教えてくれたのだ。確か「ちょびっツ」の話だった。私も見たかったが、その環境がなかった。私の実家は2LDKのマンションで、両親と私を含めた四人兄弟が住んでいて、自分の部屋などない。当然自分のテレビもなく、唯一の録画機器はリビングにあるVHSだ。しかし、父はリビングに布団を敷いて寝起きしており、とても録画出来そうになかった。その間にも興味深そうなアニメが次々と放映されて歯痒い思いだった。

 

私が学生時代に放映されたアニメのタイトルを思い出してみた。「妄想代理人」「サムライチャンプルー」「蒼穹のファフナー」「宇宙のステルヴィア」「創聖のアクエリオン」「げんしけん」「ラーゼフォン」……。ロボットアニメが多いのは当時スパロボにはまっていて印象的だからだ。私はずっと置いてけぼりにされた気分だった。

 

そんな訳で、二十歳で一人暮らしを始めた私は来る日も来る日もアニメばかり見ていた。帰宅して家事をすませ、食事の用意を終えたら、後はもう録画したアニメを見ているだけで十分だ。私の住んでいた物件では、NHK総合Eテレ、読売、関テレ、ABC 、毎日、テレビ大阪サンテレビ京都テレビが受信でき、毎日何かしらのアニメが見れた。一話で視聴を止めた作品もあれば、これはすごい、全部見るまで死ねないと思える作品もあった。嫌な事、辛い事もたくさんあったが、アニメを見ているとそれらを忘れられた。私にとっての癒しだったのだ。

 

私はアニメに救われてきたが、一方でアニメ観賞をしている事を知られたくはなかった。知られる事が恥ずかしいと今でも思っている。別に同族嫌悪はしていないし、周りの人でも(それこそおじさんでも)アニメ好きを公言している人もいるので気にする必要はないのだけど。それに私は他人と何かを共有して楽しむのが苦手だ。それはたとえ妻だったとしてもだ。妻はアニメには嫌悪感を持っていない。むしろ好きなくらいで、仕事が休みの日や産休中にはたまにレンタルして見ている。なんせおっぱいが出まくる作品、「聖痕のクェイサー」も普通に見れるほどだ。しかし、私はアニメを見るのを止めてしまった。

 

アニメを見なくなってから、私はよくイライラするようになった。代わりに本を読んだり映画館に行くようにしたが、それでも見たい気持ちは変わらなかった。子どもがいる大人がアニメばかり見てどうするんだと思って我慢したが、その間にもたくさんのアニメが放送されていった。心引かれる作品がある度に見れないことに落胆し、それもストレスになった。自分で決めたことではあるのだが。

 

そうして3年が過ぎたある日、Kindleバンダイチャンネルが視聴できると知った。丁度育児休暇中の妻が「マクロスΔ」をレンタルして見ており、わざわざ借りるよりこっちの方がいいよと勧めた。というより妻をダシにしただけだ。確実にバレてはいるが。Kindleならイヤフォンをつければ一人で視聴出来るし、それなりに画面が大きいので快適だ。以前ほどではないが、再びアニメを見始めた。

 

またアニメを見るようになってから私に少しだけ変化があった。ストレスを感じても受け流せるというか、心穏やかになったのだ。これには結構驚いた。私はずっと「自分の好きなことは何か?」と考えてきたが、もしかしたらこれが答えかもしれない。そう思うと少し嬉しかった。

 

「見たくてもみれない」のと「見ようと思えばいつでも見れる」のでは気持ちの持ちようがまるで違う。裁量権がある方がストレスが溜まりにくいと聞いた事があるが、つまりそういうことなのだろう。バンダイチャンネルはまさに私にとっての救いになった。子どもが二人いては使える時間は限られるが、それでも私はアニメを見続ける。この先、無数の困難が待ち構えているが、星の数ほどあるアニメが、私の背中を支えてくれている限り、頑張れる気がするのだ。

現場から離れるほど「ものづくり」が跋扈する

偉い人がこんなことを言う。「厳しい情勢ではありますがわが社にはすごい技術があるのでなんとか頑張りましょう」なんてことだ。私はそのたびに思う。いったいどの技術のことで、それは他社とはどれくらい差別化できていて、いくらの利益を出しているものなのか。私にはまるで思いあたるふしがない。

 

私はあまりテレビは見ないが、なんとなく日本や日本人を称賛する番組が増えたように思う。多分そういうものが世間では求められているのだろう。この国が自身をなくしている表れかもしれない。実際にネット上ではその手のサイトを製作するための人材を募集しているようだ。

「世界が絶賛する日本!」みたいな自国礼賛サイトはこうやって作られていた - エストニア共和国より愛をこめて

 

私は製造業に従事しているが、現場でものづくりなんて誰も言わない。日々の業務をこなすだけだ。ノルマに追われ、納期に追われ、予算を絞られ、偉い人から無茶を言われるのである。俺たちにはすごい技術があるなんて誰も思ってない。いたらただのアホだ。そもそも自分達が作っている物が、最終的に何に使われるかもわからない場合もある。図面の指示に従っているだけだ。

 

「ものづくり大国」とか「技術立国」なんていうが、そんなのはとっくに終わっている。過去の栄光にすがり付いているだけだ。確かにGDPはいまだ世界3位だか、一人あたりのGDPは26位だか27位だそうだ。単純に人口が多いからなんとか保っているが、生産性を向上出来なければ、悲惨な未来が待っている。詳しくはデービッド・アトキンソン氏の「新・所得倍増論」を呼んで欲しいが、日本は皆が思っているほどすごい国ではない事がよくわかる。

 

もう一度言うが、実際に生産に従事している人間はものづくりなんて言わない。言うのは偉い人か、現場と無関係な人間だけだ。いや、現場を知らないからこそ言えるのかもしれない。製造業にしろサービス業にしろ、「技術」や「おもてなし」なんてものはそうしなければクビになるからしているだけで、本当はどうでもいいと思っているのではないだろうか。

 

私はもうわかりやすい言葉で誤魔化すのはやめて、現実を直視するべきだと考えている。高齢化も少子化もかなりヤバイところまできているし、長時間労働同一労働同一賃金など仕事に対する意識を変えなければならないだろう。昔と同じやり方ではきっと解決出来ない。新しい価値観が必要だがそれが芽生える気配はまだない。「ものづくり」なんて言っている限りこの国に未来はない。