衝動を待ち続けている
昨年の暮れにある音楽番組がやっていた。音楽番組といってもプロのミュージシャンが出演するのではなく、一般の方が歌のうまさを競っていた。ウッチャンナンチャンがMCを務めていたが、久しぶりに揃っているのが印象的だった。内容も結構本格的で、当然ながら皆とても歌が上手い。今度デビューする新人だと言われても全く違和感がないくらいだ。どちらかといえば若い方が多かったが、小学生から現役の医者まで、多様な人が出ていた。
きっと私にはわからないくらい猛練習したはずだ。優勝したのは女子中学生でミュージカルの曲を歌った。感情的に歌い上げてとても素人とは思えなかった。これくらい歌が上手ければきっと楽しいだろうと思った。彼女だけでなく、予選敗退した人々も歌が好きなのだろう。それほどの熱意は私にはない。
いったい、そういう情熱はどこから来るのだろう。何かのきっかけがあったのか、それとも気づいたらのめり込んでいたのか? 頭で考えるようなことではないかもしれない。
クリス・ギレボー著、本田直之監訳の「一万円起業」では、自分の得意なこと、好きなことをビジネスにしようとある。本著に限らず、同じように説く人は多い。その考え方は圧倒的に正しい。やはり夢中になって取り組める方がいいに決まっている。しかし、情熱を持たない、持てなかった私にはまるで夢の様な話だ。
そもそもそういったものにどこで出合うのだろうと考えているとこんな記事を見かけた。
「やりたいことがない人」がなぜ、企業にとって魅力的な人材ではないのかを説明する。 | Books&Apps
この記事では「野心」という言葉が使われているが、私が求めているものに近い。野心についてこう解説している。
だが、冷たいことを言うようだがそれは単なる勉強不足、経験不足である。なぜなら、野心は、高度な勉強や多様な体験から生まれるからだ。
先人の残した研究や知見を学び、実際にそれを現場で見て、触って確かめ、自分自身の試みを適用してフィードバックを得る。そして、その中から、「野心」が生まれる。
私はまだ、心捕まれる様な何かに出会っていない。つまり今の環境では見つけられないということだ。出会うためには転職したり勉強する必要がある。単純にすむ場所を変えてもいいかもしれない。いずれにせよ、色々と試すしかない。私はいつか来るかもしれない衝動を待ち続けている。