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高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

養子が卒園して思うこと

遂に長女が保育園を卒園した。卒園式ではたくさんの保護者や保育士が涙を流していた。私は泣きはしなかったが、感慨深いものがあった。長女は卒園式を楽しみにしていたが、当日の朝になって卒園したくないと泣き出してしまった。それだけよい思いでがたくさんあるのだろう。長女が3才の時に養子縁組したので、大体3年ほど経ったが、いろいろあったなと思った。

 

4月から晴れて小学生になるが、長女の実父はその事を覚えているだろうか。実父とは全く関わりがない。何度か書いたが拒絶はしていない。ただ関わろうとしないだけだ。彼にとっては、子どもと別れてから5年以上経つが、果たしてどういう思いなのだろうか。案外、ないも考えてないかもしれない。私も数年前に会った親戚の子どもの年齢など覚えていない。

 

 私がはじめて長女と会ったとき、神戸のアンパンマンミュージアムに連れて行った。妻(まだ結婚してないけど)と私と長女でだ。会場前に着いたので並んで待っていたら、前の方でアンパンマンの着ぐるみが出てきて、子どもたちに手を振ったりしていた。長女からは全然見えないので肩車をした記憶がある。そのときはよもや自分の子どもになるとは夢にも思わなかった。

 

今でもあんまり親になった実感はない。実子である次女が産まれたが、やはりない。しかし、私の思いはどうであれ、子どもはどんどん成長していく。おむつをしていた子が今は逆上がりを出来るようになった。(私は小学生3年生くらいまで出来なかった) 

 

実父の中では長女は未だ赤ん坊のままだろうか? 重松清の小説「幼な子われらに生まれ」では離婚し、全く会わなかった子どもにおもちゃをプレゼントするシーンがある。(正直うろ覚えだが) 高学年になるのに熊のぬいぐるみを渡して呆れられていた。彼の記憶の娘はどう成長しているのか少し気になる。

 

私にとって家族とは、私と妻⇔子どもたちという連続した共同体ではなく、あくまで一人ひとりが独立した存在だと考えている。その事を妻に「人は死ぬときは一人だ」みたいなニュアンスで説明した事がある。妻にそれは寂しい考え方だと言われた。子どもは私の分身ではなくあくまで一人の人間なのだ。私の家族観は他人よりもずれているかもしれないが、それくらいの方がしっくりくる。人間関係が近いのは苦手だ。しかし、ステップアップファミリーの我が家においてはこの考え方は有効に作用していると思う。

 

実のところ、子どもたちの将来には良くも悪くも期待していない。好きなこと、得意なことを見つけてくれればそれでいい。期待とは子どもに自分の願いを託すわけだが、親の自覚が薄いので託したいものがない。ただ、「自分の生き方を模索し達成する能力」は育ててあげたい。卒園式を終えてそんなことを思った。