高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

笑顔でいないと勘違いされる

久し振りに村上龍のエッセイを読み返した。いつ読んでも文章に魅力を感じる。プロの小説家なので当たり前ではあるけれど。エッセイに「寂しい人ほど笑いたがる」というタイトルがあって、2012年に書かれたものだ。飲み屋に行くと若者やおじさんの集団がいて、大声で笑いあっているのに何故か楽しそうには見えない。そのくせ終わり際にはやけに寂しそうに見える。三世代住宅の広告では、祖父母から孫まで何がおかしいのかわからないままニコニコしていて、まるで振興宗教のパンフレットみたいだと述べている。余計なお世話だよとツッコミたくなるが、思う事がある。

 

以前出社すると「お前は何でそんな死にそうな顔をしているんだ」と言われた。それなりに疲れているが、元気だよと思っていたが、どうも辛気くさい表情をしていたらしい。それが何度も続いたので挨拶する時は意識して笑顔をつくるように心がけた。正直、なんだかバカらしい。

 

皆から好かれている人は、笑顔が上手いと思う。職場でもそういう人は、すれ違う際に挨拶するだけでもとびきりの笑顔だ。それもつくり笑いなどではなく自然と出たものだ。目を細めしっかり前歯が見える。私はせいぜい口角をあげるくらいでたぶん目元は笑っていない。育ちが違うのだろうか。

 

高校で就職面接の練習で、もっと若者らしくハキハキしろとダメ出しされた。その度になんで笑顔で人間を判断するのだと憤っていたが、今ならわかる。明るい人は親しみを持たれやすく、陰気だと何を考えているかわからず、不気味である。それに高卒には能力なんて求められていない。単純に覇気があり、素直な方が会社にとって好ましい。これは世間一般においても同じだ。

 

私はおもしろくもないのに笑顔をつくるのは苦手だ。笑顔は人と人との潤滑剤だとは理解している。人と接する際はなるべく笑顔でいるようにしている。だが、どこかで似合わないことをしていると感じていて、自然と出来る(ように見える)人はすごいと思う。練習していけば自然に出来るかも知れないが、果たしてそれが自分にとってよいのか私はわからない。