高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

読書嫌いに読書スキルを習得させることができるか

こたつでデービッド・アトキンソン氏の「新・所得倍増論」を読んでいたら妻に「それの何が面白いの」と尋ねられた。私は面白さだけで読んでいる訳じゃないと答たが、ちょっと気になって読んでみたいのかと聞いた。てっきり、そんなの難しいからいらないと言われるかと思ったら「読んでみたいけど理解できないし、眠くなる」と言った。普段なら、頑張って読めばいいのにと思うだけだ。しかし、もしかしたら「読む気がない」のではなく「読む能力」が育っていないのかもしれない。

 

 

 私は「新・所得倍増論」と一緒にルポライターの鈴木大介氏の「脳が壊れた」を買った。鈴木氏は「最貧困シングルマザー」や「ギャングースファイル 家のない少年たち」など、貧困や犯罪に染まる社会の最下層の人々を主に取材している。この「脳が壊れた」は、四十一歳で右脳に脳梗塞を発症し、高次脳機能障害が残った鈴木氏本人の闘病記だ。高次脳機能障害について鈴木氏はこう解説している。

 

 高次脳機能障害とは、脳梗塞=脳の血管に血の塊が詰まって脳細胞が損傷することで起きる障害の一群で、手足などの身体の麻痺とは別に様々な問題が起きてくることを言います。

例えば、記憶障害・注意障害・遂行機能障害認知障害等々。こうした一連の神経心理学的障害は、脳卒中(脳梗塞脳出血を含めて言う)のみならず、事故による脳の外傷などでも残る後遺症なのだそうです。

 

鈴木大介 「脳が壊れた」まえがきより 

 

 

鈴木氏に残った後遺症に「半側空間無視」というものがある。鈴木氏は視界の左側の世界を「見えていても無視」したり、左側への注意力を持続するのが難しくなってしまった。なので左側から右側に物体が移動するとまるで突然視界に表れたように見えるのだ。決して視力がなくなったのではない。いわばアハ体験や間違い探しのように、見えているのに認識していない状態になってしまっている。さらに左側への認識が困難になったことで、右方向に対する注意力が過剰になってしまった。結果的に、一度注目してしまうと、そこを「じと~」っと見続けてしまうようになり、まるで喧嘩を売っているように見えるのである。他にも体がうまくコントロール出来ない、本を読むと神経が疲れてすぐに睡魔が襲ってくる、レジで財布からうまく小銭が出せない、感情が爆発する等、日常生活に支障をきたしている。しかし、鈴木氏はこれらの後遺症は、彼が取材してきた人々にも見られたと指摘する。

 

 僕はこれまでの取材活動の中で、「環境的発達不全」と言えるような少年少女らに多く会ってきた。たとえば、過度のネグレクトや虐待家庭から逃亡して未成年で自立生活を送る売春少女、窃盗少年らの中には、フォークやスプーンの手で鷲掴みに握って食事をする子たちが少なからずいた。

彼らはその生い立ちの中で、「箸を使うという右手の発達トレーニング」すら与えられなかった者たちだった。

 また、同じく極端な機能不全家庭の出身者では、アスペルガー症候群(知的障害を伴わない自閉症スペクトラム)を疑うような、コミュニケーションや他者への気持ちへの理解を極端に苦手としたり、言語の延長線上に暴力があるような子たちも多く見てきた。

 だが、彼らのすべてが先天的な発達障害ではないことを知っている。(中略)

 当たり前の話だが、コミュニケーション力や他者への共感力なども、個人差はあれど多くは教育と訓練と経験の中で発達していくものであり、機能不全家庭の中で適切なコミュニケーションを経験せずに育ってきた彼らが対人関係において「発達不全」なのは障害てはなく自然な成り行きなのだ。 

 

鈴木大介 「脳が壊れた」より

 

鈴木氏はリハビリを続けることで後遺症が少しずつ回復していくが、それを発達の再体験・追体験と述べている。子どもが繰り返し練習して出来なかったことが出来るようになるのと同じというわけだ。ならば読書スキルだって同じではないかと思った。妻は事情があって幼少期から読書をする環境ではなかった。だが、これから鍛えていけばいい。子どもが読書スキルを得る過程として、絵本の読み聞かせ→自分で絵本を読む→児童文学→一般的な小説 だと思う。さすがに絵本から始める必要ないが、かといって児童文学もいまから読むのもどうだろうか。やはり敷居が低いライトノベル辺りから始めるのがよさそうである。アニメ化していて妻が観たことがあるならよりベターだ。先は長そうだが、やってみる価値はある。このブログで読んだ物を紹介していくつもりだが、同じように読書スキルで悩む人の参考になればうれしい。