高卒ブルーカラーの考えるあれこれ

1988年生まれ 大阪在住 二児の父

信じられるものひとつ

前回、ググれ!タカハシ - 高卒ブルーカラーの考えるあれこれという記事をかいた。ちゃんと調べて理解しないと、損することがあるよという内容だ。その中でメディアやWEBの情報は鵜呑みにしないとかいたのだが、よく考えるとこれは案外大変なのではと思った。なぜなら得られた情報を疑ったり、吟味し続けるのは体力がいるからだ。

 

 

私には子どもが二人いるが、子どもというのは基本的に親を無条件で信頼している。子どもは一人では生きていけないので親の庇護にに頼るしかない。なので親を信頼するのだろうと考えている。もし、悪意をもって子どもを騙し何度も裏切りを繰り返せば、恐らくだが、子どもの心は壊されてしまうだろう。つまり、信頼出来ない状況というのはかなりストレスがたまるのである。子どもだけでなく大人でも同じだ。妻は前の結婚では前夫に何度も裏切られた。妻はあの時は地獄だったといっていた。信頼出来る人がいる、安心して頼ることが出来るのは心の安定には不可欠なのだ。

 

 

現在、DeNAの医療メディア「ウェルク」が問題になっている。科学的に間違いだらけで、しかも大量の盗用があったからだが、もし、ウェルクを信じていた人がいるならどのような心境になるだろうか? 騙されたと怒るだろうか、こんな情報を信じた己の浅はかさを呪うだろうか。ウェルクだけではない。あらゆる情報が飛び交う現代社会で、それらに振り回されないためにはそれなりの能力が求められるが、簡単な話ではない。ウェルクならみんなが批判しているから分かりやすいが、場合によっては賛成意見と反対意見があったりする。国や信頼出来る研究所などが発表しているデータを当たって、自分の頭で考えなければならないこともある。そうなるともうついていけないので人は信じたいものしか見えなくなる。

 

 

自分で判断出来ないとどうなるのか。 多少損する程度ならまだいいが、ひどいものになると財産を奪われたり、心身に多大なダメージを負う可能性がある。なぜなら、悪い人間というのは弱っている人に甘い言葉を囁き、わかりやすい、信じやすいものを見せてくれるからだ。

 

 

しかしながら、頼るもの、悪くいえばすがれるものは人間にとって不可欠なのだろう。でなければ宗教がこれほど広まるまずもない。問題は何に寄りかかるかということだ。それが自分を正しく導いてくれののか、そうでないで人生の生きやすさは大きく違ってくる。

ググれ!タカハシ

先日、私と長女、私の友人でキャンプに行った。私はキャンプの経験がなく昔から憧れてはいたのだが、どうにも二の足を踏んでいた。友人もキャンプはしたことがない。特にテントは初心者では組み立てるのに時間がかかると聞いていたので、無理だと半ばあきらめていたのだ。しかし、こちらのサイト 住所不定キャンパーがお送りするキャンプ初心者の為の入門ブログ CAMP IN JAPAN!! を見て、やはりキャンプに行きたいという気持ちが強くなった。このサイトは初心者のためのキャンプについて解説していて、初心者が記憶しておく注意点やおすすめのキャンプ場を紹介していて、わかりやすくて良かった。

 

どうしてもキャンプをしたくなった私は、ものは試しだとキャンプ場に予約をとった。当然、大抵の道具はレンタルになるのだが、問題はテントとタープの組み立てだった。どのようなテントを借りられるかわからなかったので、ネットで動画を検索した。ネット上にはメーカーの公式動画から一般の人がアップしたものまでたくさんあり、私はそれらを片っ端からみて勉強した。結果だけいえば、キャンプ場で借りられたのはモンベルのムーンライトというテントで、私が調べた組み立て方と違ったので、あまり勉強した意味はなかった。管理人さんが教えに来て下さったのですぐに組み立てられた。しかし、ちゃんと調べておくことに越したことはないと思った。組み立て方に共通する部分もあったからだ。

 

 

 妻の知人にネットというか、ネット回線に疎い人がいる。私と妻は格安SIM(データ3G)とWiMAX2+のルーターでやっている。固定回線ではないのは、引っ越しする可能性があるのと、工事が面倒だからだ。もともと固定費を減らしたかったので、とにかくたくさん調べて、3大キャリアから乗り換えることにしたのだ。パソコンをよく使う、あるいはゲームするとかデイトレーダーなら安定した固定回線の方がいいし、外出先で通話をよくするなら楽天バイルなどの通話無制限などがいい(データ容量は少ないが) 人によって適切なプランは違うのでちゃんと理解しておかなければならないが、3大キャリアでも20G、30Gでコ通話無制限コースもあるのでなかなか難しい。先ほどの知人は自宅に固定回線があるのに無線LANルーターはなく、何故かキャリアからもらった月7G使えるルーターがあるらしい。よくわからなかったので聞いてみたのだが本人もよく理解してしていない。もし本当ならもらったルーターは無駄だし、知人は専業主婦なので、無線LANを導入すればスマホのデータプランは最低限ですむし、通信費を押さえられる。そう説明したのだが、要領を得なかったし、自分で調べたけどわからんといわれてしまった。

 

 

世の中には検索すれば無駄な出費を押さえられることがある。賃貸の場合、火災保険の加入は大抵必須なのだが、不動産屋から進められるものは高い。例えば日新火災保険の「家を借りるときの保健」とでは年間で四千円ほど違う。もちろん最近のウェルク騒動にみられるように、不適切な情報もたくさん紛れ込んでいるのでなんでも鵜呑みにすむのは危険だ。しかし、それらを見極める能力を含めて昨今では必要ではないだろうか。単純にググるのがうまい、と言い換えてもいい。しかし、その能力を得るためには結局ググり続けるしかないのではあるが。

好きはいつも未知なもの

長女がスイミングを始めた。私が習わせたのではなく、自分から言い出したのだ。泳げて損はないし、せっかくなので習わせることにした。どこまで続くかはわからないが、頑張って欲しい。

 

幼少期に様々な体験をせさるのは大切だと多くの人が考えていると思うが、体験を通じて好き嫌いや快、不快をはっきりさせることが重要だと思っている。私の従姉妹の子どもの話なのだが、印象に残っていることがある。その子たちは姉妹で、姉が11才、妹が8才くらいだったと思う。姉のほうは年頃らしい女の子だったが、妹は昆虫や爬虫類が好きだと言っていた。姉は触るどころか見るのもいやがっていたが、妹はカエルだろうとミミズだろうと平気で捕まえていて、どうしてそんなに好きなのか聞いたら、気持ち悪いのが好きだと答えた。私はそういう女の子もいるんだなぁと感心してしまった。

 

 

きっと情熱を傾けたり人生を捧げるような何かと出会えるかは運次第なのだろう。村上龍はそれらを偏愛と称しているが、私の周りでそういう偏愛を持つ人はほとんどいない。みんなそんな余裕がないのかもしれない。私は子どもたちにはたくさんの経験を通じて、自分の好きなことを持って欲しい。それらが幸せをもたらすとは限らないし、情熱を持てなかった私のエゴを押し付けているかもしれない。それでもそれらをもって、私の知らない世界を体験して欲しい。例え外国人と結婚し日本を飛び出そうとも、宇宙飛行士になろうとも、実はトランスジェンダーで性転換しようとも私は全然かまわない。人に迷惑さえ掛けなければそれでいい。もちろん平穏な生活を送りたいのならそれもいい。単純に自分が納得出来る生き方をして欲しいと願うだけだ。

継父からみた「親子断絶防止法」

最近になって親子断絶防止法という法律が出来るかもしれないと知った。これは、離婚により親権を持たない親が、子どものとの交流をなくさないためのものらしい。日本では離婚時に親権者をどちらかに決めなくてはならない。親権で揉めた場合、裁判所が判断する。裁判所は子どもを養育できる方を親権者とする。なので、離婚前に子どもを連れて別居し、養育実績を作って親権を得る方法がある。酷いものでは虚偽のDVをでっち上げることもあるようだ。こうなると親権者に面会を拒否されると、非親権者はお手上げになってしまう。国際的に見ればどちらかの親だけが親権を持つこと事態あり得ないようだ。この法律について継父である私の立場で考えてみたい。

 

 家庭の状況によって考え方が違うと思うので、 私の現状を整理しておく。

 

  • 妻の離婚の理由は元夫のギャンブル癖とそれによる借金だった。生活費すらも勝手に使われ、その日の食事にも事欠くありさまで、電気やガスも止まった。
  • 暴力等のDVはなかった。
  • 離婚時に面会や養育費の取り決めはしていない。
  • 養育費は一度ももらっていない。
  • お互い連絡はつくが、相手から連絡が来たことがない。こちらからもしない。
  • 離婚時、長女は赤ん坊だった。私と養子縁組したときはまだ2歳なので、 私のことを父親だと思っている。
  • 妻は元夫には長女を会わせたくないといっている。私も会わせたいとは思わないが、要求があれば会わせなければならないと考えている。

 

最初にいっておくが、私はこの法案に賛成だ。離婚したとしても子どもにとっては親には違いない。正当な理由なく面会を拒否し続けたり、非親権者を貶めるような言動をすれば、子どもの心が非親権者から離れてしまうかもしれない。もし、子どもがある程度の年齢になり、面会を断ればもはや会うことはできなくなる。また、面会交流がある場合は養育費の未払いは少ないというデータもある。特に母子世帯の貧困率は高い水準にあるが、養育費の支払いが増えれば、(会わせたいか別として)少しは解消されるかもしれない。

 

この法案が成立すれば、私の家庭にどう影響するだろうか。前夫は妻の電話番号やLINEも知っているし、拒否しているわけではない。向こうからアクションがない状態なのであまり関係ないかもしれない。少なくともこちらから働きかける義務はなさそうである。しかし、面会を求めてきたらどうだろうか。面会権は子どもと親の権利だが、果たしては本当に会わせてよいのだろうか考えてしまう。

 

前述の通り、離婚の原因は借金とギャンブルで生活が成り立たなくなったからで、妻に金を借りさせてまでのめり込むほどだった。そんな身勝手な人間に会わせて、子どもに悪影響はないとはいえない。なにせ生活費すら使い込む男だ。自分の利益しか考えてないかもしれない。また、妻が再婚したか知っているかはわからないが、再婚したとわかったら逆上する可能性もある。世の中には一度結婚した女は自分の物と思っている者も少なからずいる。私の家族に危害を加えるかもしれないし、そこまでではなくとも金を無心するかもしれない。もちろんこれらは私の想像でしかないが、信頼に値しない人間である以上、最悪のケースを想定しておかなければならない。

 

そもそも、自ら家庭を崩壊させておいて父親を名乗る資格があるだろうか。妻の借金にしても妻名義のものだし、養育費だって私と養子縁組しているので、支払う必要もないかもしれない。だが、法的にはいいのだろうが、人としての道理はどうなるのだろう。本当に反省しているのなら少なくとも妻に背負わせた利息を含めた借金を全額返済するべきだし、私と結婚するまでにかかった養育費だって払う義務があると思ってしまう。勘違いしないで欲しいが、私は金が欲しいのではない。反省しているかは口先や態度ではわからないので、わかる形で示してもらいたいだけだ。

 

親子断絶防止法は子どもに会いたいという切なる願いが込められている。離れていても愛する我が子には違いない。この法案はそういった親(あるいは子)を救済するためのものだろう。ただ、世の中には離れた方がいい親が少なからずいるのも事実だ。暴力などのわかりやすいものではなくとも、モラハラだったり経済DVだったり、親としての資格が疑われるものもいる。だいたい、父親としての役目は私がしているし、進学の費用も毎月貯めている。もし、妻が離婚していなければ悲惨な事態になっていたのは容易に想像できる。長女にはまだ私が本当の父親だと打ち明けていないが、それは今の状態で家庭が安定しているからで、下手に話せば長女を混乱させてしまうと思うからだ。恐らくだが、私のように子どもが幼いうちに養子縁組した家庭は、理解できる年齢になってから話す家庭が多いのではないだろうか。私は面会のために長女に本当のことを打ち明けろと言われたら、頭ではわかっていても、とても納得出来そうにない。

 

もう一度いっておくが私はこの法案に賛成だ。離婚時にきちんと面会や養育費の取り決めを提出しなければならないことや、子どもの幸せを優先させる内容は素晴らしいことだ。ただ、両親が揃って(交流があれば)絶対に幸せになるとは思わないし、再婚してやっとまともな生活を手に入れた場合もあるだろう。百の家庭があれば百の事情があるので、様々なケースに対応できるフレキシブルな法律になることを期待したい。

ウィンドウショッピングは苦手だ

私はウィンドウショッピングが苦手だ。特に買うものがないのにだらだらと歩き回るのは趣味ではない。欲しいものがあって下見で行くのならいいのだが、ただ見るだけだといらいらしてしまう。結婚した当初は自分がそんな性質だとは知らなかったので、なんで俺はこんなにムカムカしているのだろうと思った。それで妻とよく揉めたりもした。

 

感情を殺す仕事 - シロクマの屑籠 

こちらの記事を読んでなるほどと思った事がある。人間は喜怒哀楽があるが、社会においては怒と哀は慎むものであり、押し殺さなければならないと「教育」される。そのように抑圧された感情は歪んだ形で親から子へ受け継がれていく。恐らくだが、感情はコントロールすべしという思想が、間違った形の叱らない教育に繋がっていたりするのだろう。

 

最近はないのだが、妻は私とケンカになって怒りが溜まるとよく頭を冷やすといって、30分ほど出ていくことがあった。また、悲しみのあまりに泣き出すと、まるで子どものように大声で泣く。これも妻なりの心の防衛術なのだろう。

 

私は行列や人混みも苦手なので、ショッピングモールなど賑わう場所に行くときは、空いている時間を選ぶ。子供が商品を触ったり、あまつさえ落として壊したりされると最悪なので、雑貨屋や食器屋などの小さい店には、子どもをどちらかが見ておき交代で入るようにしている。私は一度もイライラするとなかなか気分が戻らないタチで、それで家族でのお出かけをパーにしたことが何度かある。情けない話なのだが自分の性質をどうも変えられそうにはない。なので、感情を抑えこむよりかは、状況や行動をコントロールした方が私にはあっている。自分の性質を理解したうえでうまく付き合うのも「大人のやり方」なのかもしれない。

焦燥感と情熱のあいだ

上遠野浩平の小説「ブギーポップ・リターンズ VSイマジネーター」という作品の中で、こんな描写がある。登場人物の飛鳥井仁は人の心の形を、バラの花のイメージでみることができる。彼は従姉妹の少女を「基本的に優秀だが冷めたところがあり、他人のどうでもいいような情熱を羨ましいと感じている」と評していた。正直うろ覚えなのだが、私はどきりとした記憶がある。

 

私は昔から何かに熱中したり、一心不乱にのめり込むことはなかった。読書だけは好きだったが、絶対的な趣味ではなかった。今はかなり読書量も減ってしまった。

 

まだ十代、特に中学生の頃は焦燥感があった。クラスメイトには電車が好きで遠方まで見に行ったり、ノートにマンガを描いては持ってきた者もいた。そういう同級生を見るたびに、俺にはなぜ何もないのだろう、何かしなくてはと思うほど、自分には才能も情熱もないと思い知らされてしまった。働くようになってからも変わらず、スノーボードや自転車に手を出したが、やはり長続きしない。そのうち自分はなにも楽しめない人間なのかと己を呪う気持ちになった。

 

今にして思うのだが、人生をおもしろ楽しく謳歌しなければ駄目だという脅迫観念に近いものにとらわれていたのかもしれない。あるいは夢を、目標を、やりがいを持たなければならないと思い込んでいたのだろう。

 

小説家の村上龍は、エッセイ「ラスト・ワルツ」でこんなことを言っていた。

「夢というか、人生における目標は、中学校のころに持つことができればそれに越したことはない。持たないより、持ったほうがいい。だが、わたし自身の話をすれば、夢なんかなかったし、目標もなかった。興味があるのは、女の子とか、映画とか、文学とか、そのくらいで、勉強も嫌いだった。無理して夢なんか持つ必要はないし、夢や目標がないからといってがっかりすることも不安になることもない」

 これは村上龍が中学校で依頼されて講演した際、 生徒達から予め集めてもらった質問に対しての話だ。もし、中学生の私がこの話を聞いていたらきっと救われていたかもしれない。

 

今は結婚して子供もいるので時間的にも金銭的にも余裕がない。夢や目標なんていっている暇はないのだが、不思議と焦燥感はない。単純に大人になったからともいえるが、出来る事が限られているので、逆にやれる事はやってみようという気持ちになる。今まではそんなことしてどうするんだという事も、興味があるならとりあえずやるか、くらいのノリだ。このブログもそのひとつだ。それで私の人生がどうなるわけでもないだろうが、回り道も悪くない。

 

村上龍は先の講演で保護者からの「どうやったら子どもの適性を活かした仕事に就くように動機付けをすることができるでしょうか」という質問にこう答えている。

「好きなこと、自分に向いたことは、探すものではなく、出会うものなので、今は好奇心を摘まないようにして、見守っていればいいのではないでしょうか」

 

 

連れ子を養子にした私が(今のところ)うまくいっているわけ

長女と養子縁組してから2年半たった。いろいろあったが、なんとかやってこられたと思う。次女(実子)が産まれた今、血の繋がらない親子としてうまく暮らせている訳を振り返りたい。先にいっておくが、誰にでも当てはまるわけではないだろうし、この先はどうなるかわからない。あくまでも今現在の話だ。

 

1  本当の父親から一度も連絡がない

 

妻が離婚してから5年は経つが、向こうから連絡が来たことはないらしい。離婚の理由は詳しくは説明しないが相手の有責だ。養育費も一円ももらっていない。クリスマスも、子供の誕生日ですらも連絡がない。人の親としてどうかとは思う。だが、そんな親は多いらしい。6割の母子世帯が養育費を受け取ったことがないようだ。しかし、クズといえども親は親だ。どれだけ愛する覚悟を決めようとも、やはり本当の親の存在は大きい。実父と交流がないことが果たしてそれでいいのかわからないが、私にとってはプラスだ。

 

2 結婚に反対する者がいなかった

 

実のところこれが一番大きいと思う。子育ては実子であれ養子であれ、周囲のサポートがなければ非常に大変だからだ。妻は事情があって両親がいない。というか両親については顔すら知らない。反対する者もいなかった。一方私の方だが、父は数年前に女を作って出ていってしまったのでこちらは除外する。親戚付き合いはなかったので、問題は母だけだった。電話で結婚すると伝えたとき(もちろん子持ちであることも含めて)、母は驚きはしたものの、特に反対はしなかった。母は長女をよく可愛がってくれている。長女の誕生日にはプレゼントを買ってくれたり、保育園のイベントにもよく顔を出してくれた。初孫である次女が産まれてもそれは変わらず、私達家族を陰日向にサポートしてくれている。これについては本当に感謝している。

 

3 妻と私はもともと知り合いだった

 

私と妻は高校生からの知り合いで当時はよく一緒に遊んでいた。妻が両親がいないことも知っていたし、どんな考えを持ち、どんな性格かわかっていた。昔からの共通の話題も多い。1から信頼を築くよりも容易かったと言える。 

4 子供がまだ幼かった

 長女が3歳のときに私の養子にした。当然長女は私が本当の親だと思っている。(そもそも義理の親など理解できないだろう) 理解できる年頃だったなら、今ほどうまくやれてないかもしれない。私は長女が18~20歳くらいになったら養子にだと話すつもりだが、人によっては幼いうちから少しずつ教える人もいるだろう。どちらがいい悪いではなく家庭環境や子供の個性を見極めて判断すべきだ。

 

 

 

思い付くまま書いてみたが、 改めて私は運がいい。連れ子結婚は少しの障害も、うまくいかない理由になる可能性がある。特に身近に反対する者がいるならなおさらだ。(実は遠い親戚は私の結婚に反対と耳にしたが、顔すら知らないのでどうでもいい) 私と妻には何の障害もなかったので、自分達の気持ちの問題だった。逆にいえばどれだけ本気であろうと、周囲の状況次第では不幸な結果になってしまうかもしれない。もし、連れ子結婚を考えるなら自分の環境を見直してみるべきだろう。